展覧会概要
HRDファインアートでは、東京・青山の白白庵との共同企画により、ペインターの寺島みどりと陶芸家の津田友子による二人展「松の樹/犀の角」を開催します。
寺島みどりは1972年京都生まれ。京都市立芸術大学大学院修了。油彩による抽象表現を一貫して追究し、色彩と筆触により絵画画面の中に空間を生み出す試みに取り組み続けています。大画面の作品を得意とし、インスタレーションやワークショップなど幅広い活動も展開しています。
津田友子は1975年京都生まれ。楽焼の窯元・吉村楽入に師事し、また京都府立陶工高等技術専門校、京都市立工業試験場陶磁器コース本科などで研鑽を積みました。現在は京都・花園に自らの窯「未央窯」を開き、楽茶わんにとどまらない多彩な作陶・表現に取り組み、全国各地で作品を発表しています。
本展は、それぞれが普段の制作の延長線上で生み出した陶と絵画を中心にしつつ、寺島は津田の陶の作品を、津田は寺島の絵画作品をインスピレーションとして制作した作品も展示されます。また、制作の指針や生き方の根本に関わる言葉を互いに提示し、その言葉から着想した作品を制作するという、言葉を媒介とした交感/ダイアローグの試みも行われます。展覧会タイトルの「松の樹/犀の角」は、津田が提示した「松樹千年の翠」という禅語と、寺島が提示した「犀の角のようにただ独り歩め」という仏教書の言葉から採られています。
陶芸と絵画という異なる領域に身を置きながら、自らの制作や探究に妥協なく邁進する同世代・同郷の二人の女性アーティスト。その個性と表現がぶつかり合い、響き合う様子を、是非ご高覧ください。
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アーティストからのメッセージ
昨年の大阪でのある個展。
寺島みどりさんの絵画の前に立ち、足を止めしばらく眺めていた。
絵から放たれる温度がある事に気づく。
胎内、生命、水……様々なモノが見えてわたしはその暖かさを感じ引き込まれていった。
今展は、互いの作品にインスピレーションを感じ、制作した作品も並べます。
一つずつの絵と向き合い、込み上げる感情をカタチにしています。
(津田 友子)
津田さんの作品は不思議だ。
まるで重力を感じさせないような不思議な姿の器もあれば、優しく語りかけてくるような温かみを感じる器もある。
私は眺めたり手に取ったりするだけではなく、それらをぜひ使いたかった。今回この展示のために楽茶わんを一つ譲ってもらい、ネットで調べたりしてお茶を点てていただいた。わからないなりに日々それを繰り返していると、私とその器の間に関係ができた。それはとても新鮮で幸福なものだった。
今回の展示のタイトルに使ってもらった「犀の角」の言葉。その厳しい言葉に励まされないとダメな弱い心を、私はいつも自覚している。だが、その弱い心を持ったままでいたいとも考えている。狭間で揺れる私に津田さんの作品は、まだ知らない世界は確かにあるのだと教えてくれた。そのまま進んで行こうと私は思った。
(寺島 みどり)
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共同企画者からのメッセージ
縁あってここ数年で再び作品を見る機会に恵まれた寺島みどりさんは、私の主宰する白白庵の前身であり京都を拠点としていたneutron(2001〜2012)においても個展を開催するなど、存在感の強い作家であった。研ぎ澄まされたナイフのように、近付く者を寄せ付けないようなオーラを当時感じたものだが、結婚と出産を経ていわゆる「母」となったことで雰囲気も丸くなり……と言い切れないのが、みどりさんの面白いところである。今なおキレキレのエッジが効いた画面に加え、柔らかくも茫洋と広がる奥行きが備わったように感じられ、作品から発せられる迫力は以前より増している。
他方、津田友子は白白庵の代表的な作家であり、私が提唱する「JAPANESE HYBRID ART」を背負う(背負わせている)陶芸家である。楽焼の作家として特に知られるが、近年はより時代の先端の美意識を発揮するためのシリーズとしてラグジュアリーな食器やオブジェの制作も手がけ、最新作「蜘蛛の糸」では釉薬の研究の成果が発揮されている。柔らかで嫋やかと称される独特の楽焼の作品と、近作オブジェ「Guardian」で見せるプリミティブな造形、「蜘蛛の糸」で見せる幻想的なまでの鮮やかな発色は、一見すると同じ作家のものとは思えないほどの幅を持っている。
ジェンダーレス・ボーダーレスの時代に「女性」だの「母性」だのと殊更に言うのは時代遅れ甚だしいし、そもそも二人ともその点にのみ帰結する作家ではない。むしろジェンダーレス・ボーダーレスを体現してきた作家でもあろう。ここで言う「ボーダー」は、自らが設定する境界線や限界地点のことでもある。それを設定するのは容易いが、そこから先へと越境するのは難しい。理想や目標という意味では限りなく遠くのボーダーを目指すべきだが、作家として自らに課す制約(それは例えば絵画、陶芸と言うメディアそのものも含む)としての線引きは必要な負荷として機能もする。不自由から生まれる「自由への渇望」こそ表現の源だとするならば、この二人には常に枯れることの無い渇きが存在し、だからこそ自在な変化も可能とする。
異色の組み合わせの作家の二人展を、かねてより親交のあった原田さんに突然の無茶ぶりのような形で提案(半ば強引に)してしまった。とはいえ、この二人の作家には制作ジャンルを超えた相似性や共通項が一つや二つではなく存在すると感じた気持ちを、おそらく原田さんも共有してくれたのだろう。このような機会を実際に設けてくださったことに対し、心から感謝の気持ちを表したい。
何より、私の大好きな作家二名による展覧会を、こんなにも自由な立場で楽しませてもらって、すみません。笑
(白白庵 代表 石橋圭吾
http://www.pakupakuan.jp/)